「迷惑を掛けたくない。」と入院さえ極秘にした故人の意志を尊重し、子供、兄弟、孫だけに死去は伝えられた。何処からか知られた社長と父に頼んで貰った姪の我々は、やっと参加させて貰えたらしい。
普段住んでない家という事も有り、近所にも内緒。
供花、香典、電報と言った事の一切を遠慮。
霊柩車も目立たない黒のワゴン。
迷惑を掛けたくない。。。その思いは天にまで届く程強かったのだろう。
11月にしては暖かい晴れた日が続いた。
お葬式って殆ど、何処かで雨が降るのだが。。。
2001年11月19日(友引)
午前4時 獅子座流星群に導かれたかのように死去。(享年83歳)
叔父や喪主は関西だが、親族の半数が東京・アメリカという事もあり、同日に仮通夜が設けられた。
2001年11月20日(先負)
午後6時 通夜。
2001年11月21日(仏滅)
午前11時 葬儀。午後4時 初七日。
距離的に可能な限り、始めから終わりまで送りたい人々だけで、見栄も体裁も無く、厳かに和やかに大切な人を失う悲しみに包まれて。。。
数の把握が確実に出来るのもあるだろう。仮通夜、通夜、精進上げと、グルメだった叔父を忍ばせる選りすぐったお店のお弁当が出された。
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