ハードもマイツール

マイツール順調

85,86年とマイツールの売上も順調に伸び始め、社内でもひょっとしたら成功するのではないかというように思う人たちも増えてきました。 まあ、実際のところ最初は、どうせ上手く行かないだろうと思って冷たい目で見ているような雰囲気がまわりにあったですね。
マイツールの部隊も人が段々増えていきました。 なにしろする事は一杯ありましたから。

SP250Uの次機種の検討の時期になり、(なにしろ毎年新機種にするので、結構仕様検討は忙しかったですね。) 日立からの提案が出てくるようになりましたが、あいかわらず他社の後追いのスペックで、新しい事は殆どないような案でした。

ハードも「マイツール」に

本多さんが、「リコーはパソコンを売るのではない。マイツールを売るのだ。他社のスペックと同じパソコン出してもしょうがない。新しいものにしよう。ハードだってマイツールと言う名前にしよう。今が最初のコンセプトを実行するチャンスだ。」 と言い出して、日立に我々の要求を出してやらせようとなったのです。
組織の名前もマイツールにしたのも本多さんですからね。

SP200から始まって、日立が提案してくる機種案を、それまでは殆どそのまま受け入れていたのですが、これからは我々で作っていこうとなったのです。
実際最初は人も少なかったしソフト開発に追われ、ハードのスペックまで考える余裕なんてほとんどなかったのです。 バグ取りに追われている最中に6ヶ月後のハードをどうしようなど聞いても、どうでもいいやという気もあったですからね。

そんなわけで、マイツールソフトから見て使いやすいハードを作ろうじゃないかとなったのです。 日立のほうもリコーの販売が急成長しているので(あいかわらず日立自社の販売は伸びてなくて) 我々の要求を聞くと言う雰囲気になってきていたというのもあります。

ハードの構想

我々はマイツールのユーザーさんの所に機会ある毎に行っていたのですが、リコーのお客さんと言うのは中小の規模のところが多く、パソコンも非常に狭い場所で使っているというのが実態でした。
そこで今度の機種は出来るだけ小さくしようというのが、皆が第一に考えた項目でした。もちろんデザインはパソコンらしくないようにというのも当然ありましたよ。 Macのイメージというのはある程度ありました。

3.5インチFDの採用

日立に小さくしたいのだといって、フロッピーは3.5インチにしたのです。 これも日立は3.5インチはまだ出たばかりで安定していなく、他社もまだだというので採用渋ったのだけど、ぜひやれというのでやらせたわけです。 だから3.5インチを採用したのは、リコーのMrマイツールが最初だったはずです。

本体とCRTの一体化

本体を小さくしCRTと同じ幅にして一体感を持たせるというのが、Macを意識した我々の要望でした。 本当は本体とCRTを別々でなく一つにしようと要求したのですが、一緒にするとマイクロソフトとMSDOSの契約を別に結ばなくてはならない、非常に金がかかるなんて日立が言い出して、 結局押し切られました。

キーボード

キーボードも幅を本体と同じくする。 使わない時は本体に格納出来るようにしたい。 という要望も出しました。 うまくデザイン出来なくて格納は結局出来ませんでしたけどね。

狭いキーボードにどのようにキーを配列するか、そもそもどんなキーをつけようかというのが我々が一番考えたところでした。 マイツールを使うには必要ない、そもそも何のためにあるのか分からないようなキートップがありましたからね。
それとキートップの刻印は英語は使わず分かりやすい日本語にしよう、というのも譲れないところでした。 そういえば最初のキーには復改なんてのがありました。 キャリッジ・リターン・ライン・フィード(CRLF)の略だろうけど、こんなのが平気で使われていたのですからね。

日本語と言えば、マシンをたちあげる時の英語のメッセージもいやだ、日本語で出せとも要求したんだけど、これも契約云々とか言われて結局実現できなかったです。
二重矢印キーとか他の機種にはないキートップは、このとき検討した結果つくられたのです。 まあこの時のキーボードをどう配列するかというのでは、ほんとうに何枚も図面を書きましたね。
Mrマイツール

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