「シェルティ育児録」 「真愛珠の家族」   真愛珠 ベティ ベティ2世 沙笛

優唯 Yui La Sarmia

犬種/シェトランド・シープ・ドッグ(略称 シェルティ)
カラー/トライ
性別/女の子
誕生日/1978年08月17日
養女になった日/1978年09月17日
永眠した日/1991年02月20日 03:40 AM

主人の海外赴任に付いていったニューヨーク時代、まだ運転免許も無く、友達も無く、 淋しくて、すぐに手に入る友達、仔犬を彼にせがんだ。
会社の人に教えて貰ったニュージャージー州のブリーダー。その犬舎にシェルティーの仔犬が産まれた所だという。
当時、シェルティーを知らなかったが、シェットランド・シープドッグは、コリーのミニチュア版だと聞いた。 コリーは、実家でも飼っていて、好きだったので、取りあえずニュージャージーまで車で見に行った。

セーブル(茶色と白)2匹とトライ(黒と茶色と白)が1匹居た記憶が有る。 フルカラー(首のまわりの白が襟巻き上に完全に回ってる)で、ブリーズ(鼻から額に通った白い筋)が通った元気な子。 優唯が居た。
しかし、また産まれて間もないから、引き渡すのには早すぎるとの事で、1ヶ月待ってから、引き取りに行った。 歴代AKC(アメリカ・ケンネル・クラブ)のチャンピオンやグランドチャンピオンの凄い血統を持つ子だった。

これだけの血統なら、ちゃんと育てればチャンピオンになるのかな?と、色々な本を読んでしつけ始めたが、 さて?チャンピオンとは、ホントに素晴らしい子なら、一発で点数を稼げるらしい。 でも、そこまでの子で無ければ、何度もあちこちで点数を稼ぐ必要が有りそう。 ニューヨークと言っても広い。アメリカ。。。広すぎる。私が車で運転して。。。回る自信が無く。。。 優唯は耳に付けたセッティングを嫌がる。

思い起こせば実家時代、コリーが居て、訓練士を付けて、ショーに出したらチャンピオントロフィーを取ってきた。
お婿さんを頼んで、子供が産まれて、養子に出して。。。。 結局、母犬は産後の肥立ちが悪くて亡くなり、養子に出した仔犬もチャンピオンになったが、毒殺された。
そして。。。チャンピオンのトロフィーは、それを飾ってあった棚が実家から消えた時、消えた。

チャンピオン。。。何の意味がある?

止めた!止めた!耳のセッティングは外そう!好きにしなさい。(^^)

産まれたままに、耳は何もしない、避妊手術もしない、自由に育て。
ただ、私達に何か有った時、人に貰って貰えるように育て。

賢く、優しく、神経質で、臆病な優唯。
電話が鳴るとキャンキャン、玄関ベルが鳴るとキャンキャン。
家中を走り回っていた優唯。
1日や2日は、ちゃんとお留守番して呉れた優唯。
でも、ハンドバッグに覆い被さって、私が持つのを阻止した優唯。
マンションのリペアマンには、実に勇敢に吠えまくった優唯。
なのに、私が怖がった時は、私の足もとで震えていた優唯。
エレベーターから日本人が降りると、知らせて呉れた優唯。何故、ウチのお客様と判ったの?
小さい時に、大きい犬に追いかけられたから、犬が怖かったのよね、優唯。
散歩したらすぐ虫に入られて、散歩出来なくなっちゃったけど、病気はしなかったね、優唯。
帰国の飛行機が揺れて不時着して、怖かっただろうね、優唯。
貴女を連れて行こうと、中国で書類を一所懸命翻訳したのよ、優唯。
ずっと貴女と暮らしたかった。。。優唯。。。

結局、彼は会社を変わり、優唯10歳の時、横浜へ。 横浜の社宅のマンションは犬が飼えず、実家にも婚家にも、「室内で飼ってる子は駄目」 とか「もしもお爺ちゃんに飛びついたら困る」とか、「可愛がられ過ぎてる。 何か有って恨まれたら嫌」とか、預かって貰えず。。。でも、生け花の先生が養女にして下さった。
「実に賢い子で、社会性を知ってますね!家族平等に一人ずつ回るんですよ。 お庭で遊ばせていても、慌てて家の中に戻るから、何事かと思ったら、トイレに入りました。」

そして、12歳の時。。。天国へ。。。
「昼間は普通の状態で、晩に家族の部屋を全部挨拶して回った後、夜の11時頃、 腹式呼吸をして、いつもとちょっと違う様子でしたので、朝一番に獣医の所へ参るつもりでおりました。 その後、呼吸が穏やかになり、私たちの間近で昏睡し始めましたので、安心して就寝致しましたが、 どうにも心配でしたので、午前3時40分頃に起きて、様子を見ました所、既に息を引き取っておりました。 あまりにもあっけなく、彼女の死が信じられません。私たちが責任を持ってお預かりしたのに、 こんなことになって、誠に申し訳ございません。」と、ワープロの嫌いな先生が、 手書きで書けないからと。。。ワープロで長い手紙を下さった。

お手紙を戴いて、先生に電話した時、火葬場の方が「白くて綺麗な骨ですね、可愛がられたのでしょう。 ただ、この黒いのがありますでしょう?これは癌なんです。」と仰ったと。。。

優唯が亡くなる1週間前、私が帰省した折り、先生が優唯を連れてきて下さって、会っている。 その時、優唯は元気に走り回っていたが、彼女を抱いた時、胸に塊が有るのに気が付いた。 癌で亡くなった母の最後の時と同じ場所に、同じようなものが。。。優唯は癌かも知れない。。。 長くないかも知れない。。。不安を押し伏せて打ち消し、私は考えることを止めた。 そして優唯は、また先生の車に乗って。。。じっと私を見つめていた。 吠えもせず、くーんとも言わず、黙って。。。じっと。。。見つめていた。。。 「何故、私を側に置いて呉れないの?何故?私、遠い所へ行っちゃうよ? ママは私の最後を看取って呉れないの?」と言っていたのだろうか。。。

それから5年後、マンションの理事長が迷い犬を家に入れて、飼い始めた。 そして、2件が、3件が犬を飼い始めた。 私は。。。何のために優唯と別れたのか!優唯と別れる位なら、この子の首を締めて私も死にたいと思ったのは、 何だったのだろうか。。。優唯。。。ごめんね。。。もうちょっと待っていてね、いずれ私も逝くのだから。 ただ、天国の貴方と同じ所へ行けるかどうか、判らないけど。。。

以下、ニューヨーク時代の写真(優唯、3〜4歳の頃)をスキャンしたもの。
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