英語版マイツール
ついでにマイツールの特殊ものを紹介すると、マイツール英語版というのも作りました。
これを持って87年に私は2週間アメリカに出張できたんですけどね。
Ninjya
83年にマイツール採用を決定した当時の販売本部長がアメリカのリコーコーポレーションの会長になっており、アメリカでマイツールやろうじゃないか、名前もNinjyaというのでどうだ、と言ってきていたのです。
当時アメリカで日本の忍者映画がはやっていて、マイツールという名前はまずいので、それが良いと決めていたのです。
丁度アメリカでリコーの25周年のフェアを主要都市で開くので、その時マイツールを紹介しようとなりました。
LXを持って私が出かけ、アメリカの担当者とデモのシナリオなど作り、説明員の女性に教えたりしてニューヨークからフェアはスタートしました。
お客の反応はソフトよりLXのほうにあり、「この機械はいくらなのだ、売りたい」 という要望が結構強かったです。
お客はリコーのディーラーが多かったですから。
でもIBM互換でないというと興味を無くしましたね。
アメリカでソフト売るのはディーラーも弱いし、ロータス123が標準になっていて、ちょっと無理だというリコーの結論になったのですけどね。
でも説明員の女性なんかすぐ操作を覚えて、映画スター希望だったけど俳優と出演映画をマイツールに入力したりして使ってました。
アメリカでは大きなページのスプレッドシートでなくては受け入れられないだろうと思っていたのですが、それに関してはマイツールのページのほうが実際の紙のイメージが湧くので大きくなくても十分である、マーケティングを上手くやればいいソフトだから売れるという意見が多かったですね。
特にマイツールのグラフ機能に関しては、見た人皆がすばらしいと言ってました。
まあこのように、いくつか特別なマイツールも作りましたが、事業としてやることはありませんでした。
物だけあってもダメですから。
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